maya-しんがぽ日記
 だー様の海外赴任でシンガポールにいた「駐妻」ブロガーです。得意技はへっぽこちびマンガ描きと食べ歩き。2012年の7月に日本に帰りました。5年半の滞在期間中の日記です。でもオサレな記事はありません。すみません。
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DATE: 2011/08/06(土)   CATEGORY: 雑事
原爆と原発について考える。
福島の発電所での事故が
今年の原爆の日への意識を高めたのは言うまでもないことです。
そういったコメントなどもテレビで目にする機会があり
逆に言えば
自分の町に原発があるにもかかわらず、ちょっと遠い場所の出来事だったのかい?と
悲しくなったのも事実です。

私の場合は、祖母と叔母が広島で被曝し被曝者健康手帳保持者になりました。
父は学童疎開をしており、当日広島市にはおりませんでしたので
現在の被曝者認定には当てはまりません。
母も隣の市におりまして同様です。

ですが、当時は原爆や放射能に対する知識が皆無であった日本
医療現場でも、髪が抜けたり、嘔吐や下痢が止まらず、内臓が弱っていったり、極度の貧血になったり
そういう病気の原因が放射能汚染によるものであるかもということが全くわからない中で
一体、爆心地から何キロ離れていたら安心、だと、誰が知りえたのでしょうか。

アメリカにしても
まだ実験段階の兵器の一つ。
そのすさまじい爆発力と音速を越える爆風と通常の太陽の照射エネルギーの数千倍の爆熱は
想像を超えるものだったのでしょうから
その後撒き散らされる放射能のことになど推測が追いつくはずないと想像に易い。

爆風だけで数キロに及んだのですから、その先に飛散した放射能を帯びた物質が
一体どこまで届いてしまったのか。
それは当時から現在に至るまでで認定として政府がイヤイヤ広げられた範囲で本当に収まっているのか?
福島の一件を逆読みしても、そんなはずないだろうと思わずにいられません。

また一部のセシウムや放射能汚染は数十年残るといわれています。
被災地広島市では3日後には市電が走り始め、1週間後には医師や看護師、復興の為の人々が
たくさん来ています。
それらの方は入市被曝となり、0.1シーベルト(ミリではなく)の被曝をしたと推定されています。
無知というのは、悲しいものです。
誰も、「入ってはいけない」というひとはいなかった。
そこに苦しんでいる人がたくさんいたから。
そしてアメリカ兵も2週間後には調査に入っています。
その人たちには、一体何か知らされていたのでしょうか。

広島市内中心部は、ほとんどが吹き飛ばされてしまい、直後の火災でさらに焼け野原になったので
復興のために土壌を掘り起こし、瓦礫を撤去して、表面は掘り取られましたが
それは、おそらく除染が目的ではありません。

また、原爆の後で降った黒い雨にはウランやセシウムなども含まれていました。
想定の範囲よりも、実際は広域でそれらが検出されたことが後にわかっています。

フォールアウトしたのはセシウム137、一般的に言われているのは半減期30年です。
私は隣の市で43年前に生まれました。
戦後25年後ほどになりますでしょうか。
ということは、セシウムなどの土壌汚染は当時は消えていないことになりますが
広島に降った中性子、セシウム137の半減期については諸説あるようで
真実は明確にはされていません

気持ちが楽になる文書をもとにするのなら
広島の放射能汚染は数年で人体に影響の無い量にまでなったと思われますが

その先の被害はまさに人為的とも呼べるもの、差別です。
中性子線により、物質が放射能化(放射能を放出するもの)に変わるという話から
被曝した人々が放射能を放出しているかのような考えが流れました。
確かに、今でも放射線治療を行った直後は妊婦に近寄らないようにと
病院で言われることもあるようですが
特に被爆者は、戦争被害者でありながら、その差別は長い期間に渡りました。
当時は、被爆者ということで仕事につけない人も多かったことから
被爆者健康手帳をあえて受取らなかったりということもあったようです。

私も、20代の前半に広島で就職活動をしていましたが
ある東京に本社を持つ広島営業所の中途採用の試験を受けた際に
面接で「ご両親は被曝しているか、もしくは被曝2世か?」と聞かれました。
中・高の道徳教育の中で、部落や被曝の差別に苦しむ人という内容がありましたが
それが、当時の私の代、平成に変わってまで続いているのだということに
愕然としたのを覚えています。
正面切って聞いてくるのはまだ潔いと判断するべきか否か
興信所を使って調べた会社もあったようです。
本当に驚いた。
それで、私が被爆者だったら、あの会社には受からなかったということなのでしょうか?


福島だけに限らず
少し古い原発は、もともと日本には非核三原則というものがありながら
原発の平和利用という名目で
アメリカやヨーロッパが日本において獲得した公共事業でもあります。
マンガ的なイメージで言えば「何かあっても海の向こうの国だからアメリカには関係ないし~」という
ブラックなひとコマを加えたくなるような解釈ですが
海外向けの工事に原子力発電所を発注し
国内向けの業者にダムを発注したと大雑把に考えればわかりやすいかも。
昭和の復興とはそういう時代でもあったんです。

自国ではなく海外の工事を請け負って、その国の公共工事費を獲得する。
それは、まさに今、日本が諸外国にしようと進めていることでもあります。

本当にそれがその国に、自分の国に必要なのか、地球に必要なのか

福島原発に関しては
政府の無策や東電の対応の悪さ、開示されない情報に苛立ちすら覚えますが
そんな中でも、命を懸けて、身体を張って、何とかしようとしている人がいるということ
住み慣れた街を離れて不便な生活を強いられている人がいるということ
放射能の不安を持ち続けつつも残っている人がいるということ

そういう人のたちのことを忘れず
また、この被害がかろうじておさまったとしても
今回は、今回こそは
この恐怖を絶対忘れて欲しくない。
本当に恐ろしいのは
爆弾で焼け爛れた人の外見ではなく
爆発した建屋でもなく
記憶が硬化してしまうことかもしれません。

自分の町に
広島型原爆20個分の破壊力を持つものがあるということを
本当の意味で認識して欲しい
ヒロシマとナガサキが
そのためにあるなんてことは言えないけれど
世界中にある原発を持つ町が
ヒロシマ・ナガサキにならないなんて誰が約束できるでしょう?

もう一度、原爆から、見直したい。 自分も含めて。

もちろん、私が現在知りうる浅はかなうわっつらな知識の類は
パソコンでググれば入手できるものです。
でも、それだけでもいい。
時間があればほんの少しでも知識として持っていて欲しいです。

少し乱暴な言い方ですが
無知であることは、決してピュアなことではなく、罪ないことにはなりません。

無知は美しいかもしれないが
時として手に負えない施設を受け入れ
人を差別し傷つけ
パニックをも起こしかねない

これが決して大げさなことではないのは、すでに実証済みですよね。


もっと色々知らないといけない。そう思った原爆の日でありました。


とりあえず私が勝手に考えていることなので
この内容に関してのご意見ご感想はブログでは受け付けません。
直接お会いしたときにお話しするのはかまいませんので
どうしても物申すという方は、連絡先を明記してメール下さい。
(シンガポールにいらしてくださらないと会えないんですが)
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